公私の区別なんかなくてもいい!?
こんにちは。毎日快晴で気持ちの良い札幌です。そろそろよさこいのシーズンですね。しかし私はなぜか毎年その時期は千葉在宅です。避けてるわけではないのですが。
今日は「パブリックとプライベートの区分」について少し。
以前、ある年上の男性から「この業界は公私の区別なんかつけてちゃだめなんです。かくいう私ももう何年もプライベートを売り渡していますよ」と言われたことがあります。
その頃の私は今よりも少しだけ若くて、ちょいと短気で「ばっかじゃないの」と思ったものでした。
今は少しだけその方の言わんとすることもわかる気がします。経営層や営業トップにいれば、会社の命運を自分の手に握っているのですから、ある意味どんな瞬間にも「仕事脳」であるべき、ということがおっしゃりたかったのでしょう。飲みに入った居酒屋で知り合った人も、「見込み客」とみなすべきという向きもありましょうし。
しかし、やはり私は公私はきっかりと自分の中で区分している方が、気持ちよく生活ができるタイプのようです。
土日は、どうしようもない場合を除き、仕事はしません。考えることもしません。思い切り仕事を離れてのんびりしたり、プチ旅をしたり、映画を観たり、家族と過ごしたり、お昼寝を楽しんだり、ドライブしたり、踊ったりです(フラをやっています)。そういうお休みを過ごすことで、脳内はリフレッシュされ、気持ちも切り替わります。もちろん、完全に忘れているわけではありませんが、仕事上のことで悩んだり、考えたりするのは平日に集中して行うことにしています。逆に平日は仕事のことを考える割合が、ぐっと高まります。寸暇を惜しんで働くのは平日と決め込んでいます。
誰もが私のような生活リズムで気持ちがいいわけではないでしょうけれど、眠りのリズムが脳を休ませ、情報を整理するために存在するように、自分の中に何かしらリズムのある人は、よりクリアな感性を持ち得るのでは、と考えています。
リズムというのはどんな人にもパターンとして存在します。朝型体質、夜型体質、などなど。その中で、たとえば夜が遅いことを「仕事が忙しいせい」にしないこと。忙しさは自分のせいなのです。もちろん、殺到する仕事をどうしろと!?と私も一人ごちることはありますが、マインドとして、仕事のせいで毎日遅い、という後ろ向きな気持ちでは問題があると思います。要は、自分の生活や内面をすべて自分の責任で見直し、見つめて、見守る、ということに尽きます。生活の気持ちよさは自分自身で作るものです。
言い訳ができるのは、20代前半までです。生きていることそのものが、すべて自分の行動や考えから生まれているのだという感性があれば、毎日はリズムよく過ぎていくはずです。
そして「自分にはこれしかない」ではなく「自分にはこれもあれも、こんなものもある」という風に、多面で自身をとらえることも大切です。そのすべてが自分の中でどれくらいのシェアなんだろう?と考えると結構生活のリズムが見えてきます。私の場合、仕事、家族、友人、趣味、一人の時間がバランスよく配分されている感じで、偏りが見えてきたときには、休日がその修正に役立ちます。ただ、休みに「寝だめ」はかえって不健康になるので、やめましょうね。